スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

平成19年 堺市津久野だんじり

平成19年、津久野地区の最終日夜のだんじりです。

津久野地区の地車は、6台中すべてが平成の新調(製作)で、

下野町は、平成13年新調の下地車(岸和田型)で、池内工務店(池内幸一)製作。彫師は木下彫刻工芸、木彫岸田、小西彫刻、山本彫刻工芸、木彫近藤。

西組は、平成19年新調の下地車(岸和田型)で、植山工務店で製作。彫師は近藤晃。

中組も平成19年新調の下地車(岸和田型)で、(有)隆匠(田中隆治)にて製作。彫師は木彫 山本(山本仲伸)。

大東組は、平成17年新調の下地車(岸和田型)で、北本工務店(北本信広)製作。彫師は木下彫刻工芸。

神野町(組)は、平成11年新調の下地車(岸和田型)で、大下工務店製作。彫師は木下彫刻工芸(木下健司)。

宮山組は、平成5年(完全完成は6年)新調の上地車(折衷型)で、天野工務店(天野行雄)。彫師は松並義孝。
相次ぐ下地車化で、津久野地区唯一の上地車となった。

※祭礼には、石津地区の神石市之町も参加する。


▼中組
PAP_0847.jpg

PAP_0845.jpg

PAP_0842.jpg


▼神野町
PAP_0841_20071225112205.jpg

PAP_0840.jpg


▼大東
PAP_0837.jpg


▼先代の大東(折衷型・現河内長野市西代)の差上げ
PAP_0916_20071225112427.jpg



▼津久野動画
津久野動画1

収録動画順:西組、宮山、中組、大東、神野町、下田町、中組(神野町バス停付近)、神 野町(神野町バス停付近)

津久野動画2

動画収録順:下田、宮山、中組(3)
スポンサーサイト

菅原神社(天神さん)奉納 北浜(北波止)ふとん太鼓(焼失)

北浜布団太鼓は、北波止町を中心とした布団太鼓で、菅原神社に宮入りをしていた。


北島と夫婦太鼓として異名を持っていたが、途中、北島と仲が悪くなり、宮入り時の運行妨害された事により、開口神社に宮入りをする。

北浜太鼓台は、明治40年新調の淡路型で、布団締めは昇り降り龍。大正2年に百舌鳥八幡宮の梅町に売却。

現在の梅町は、大改修をし、土呂台、タガヤより上布団部分は、浜石へ売却。

その後大正14年に2代目を新調するが、昭和3年に火災に合い廃絶。


北浜2

▲初代北浜の絵画再現イメージ
※房は、白房です。

この絵画は、資料等を参考に自作したものです。色や姿・形等100%再現出来たとは限らず、又、全く違う可能性もあります。あくまでも参考にご覧になって下さい。


▼北波止(北浜)にある菅原神社御旅所
PC200019.jpg

PC200018.jpg

平成19年 百舌鳥八幡宮月見祭 西之町

平成19年の宮出の西之町です。


西之町太鼓台は、平成10年新調の淡路型。3代目。製作は、大下工務店(岸和田市)。彫師は木下彫刻工芸(岸和田)木下賢治。装飾は、岩出呉服店(岸和田市)

彫刻は、枡合正面「川中島の合戦」、右「楠公子別れ櫻井の駅」、左「牛若弁慶五条大橋の出会い」、後ろ「幸村家康本陣急襲」。
虹梁正面「武田家勇将 軍評定」、右「如意輪堂」、左「須磨寺の高札」、後ろ「九度山の場」。


また、布団締め(宮出時)は、正面上杉謙信・武田信玄。横が牛若丸・武蔵坊弁慶。

宮入り時布団締めは、金綱。

また、町紋は、橘に稲、兜となっている。大房掛けは、龍。


初代は、昭和5年制作の淡路型で、小型だった為2代目新調へ。
2代目は、昭和10年新調で、3代目新調につき大甲濱へ売却。




▼平成19年宮出です。

PAP_0726.jpg

PAP_0725.jpg

PAP_0724.jpg

PAP_0723.jpg

PAP_0722.jpg

PAP_0721.jpg

PAP_0720.jpg

PAP_0719.jpg

PAP_0718.jpg

PAP_0717.jpg

PAP_0716.jpg

PAP_0715.jpg

PAP_0713.jpg


西之町宮出動画1

西之町宮出動画2

西之町宮出動画2

平成19年 第34回堺まつり 大甲濱

平成19年の堺まつりでの大甲濱です。

大甲濱太鼓台は、平成10年に約70年ぶりに復活。
現太鼓台は、3代目で昭和10年に西之町(百舌鳥八幡)が新調したもの。
淡路型で、製作:柏木福平。添棟梁:吉田国一。彫師は川原啓秀。

狭間彫物は、正面は「頼朝鶴ケ岡八幡宮参拝」、右は「川中島の合戦」、左は「村上義光錦の御旗奪還」、後ろは「神功皇后応神天皇平産す」。

初代は、明治43年制作の淡路型で地車より転換。大正3年に利器制作所仲(菅原神社)へ売却。大正9年に柏原市太平寺に売却。

2代目は、大正初期~昭和7年まで使われ売却。


▼前夜祭3番

PAP_0995.jpg

PAP_0993.jpg


大甲濱前夜祭動画1

大甲濱前夜祭動画2

大甲濱前夜祭動画3

▼担ぎ出し8番

PAP_1063.jpg

PAP_1062.jpg

PAP_1061.jpg

PAP_1060.jpg


大甲濱担ぎ出し動画

▼パレード

大甲濱大パレード動画

大甲濱と榎の担ぎ合い動画

平成19年 東大阪市枚岡神社秋郷祭 額田

額田太鼓台は、小太鼓、中太鼓、大太鼓の3台を所有し、枚岡神社奉納の中で唯一中太鼓を所有している。

現大太鼓は、平成12年新調で大下工務店(岸和田市)が製作の淡路型。太鼓台木材は、紫檀。
彫物は、木下彫刻工芸(岸和田市)製作で、正面狭間「天の岩屋戸」、後「天孫降臨」、右「鹿島立ち」、左「出雲国譲り」(すべて上段の彫刻)。

布団締めは、昇り降り龍。房は鍛示商店(京都府)製作。
太鼓は、2尺8寸のもの。


▼平成19年宮入り

PAP_0922.jpg

PAP_0923.jpg


額田太鼓台一の鳥居動画

額田太鼓台宮入り動画
動画順:1シーン目:中太鼓と小太鼓、2シーン目:大太鼓

額田太鼓台サッセ動画
動画左から:大太鼓、中太鼓、小太鼓

菅原神社(天神さん)奉納 北島ふとん太鼓(焼失)

北島布団太鼓は、戎島町を中心とした布団太鼓で、菅原神社に宮入りをしていた。

この太鼓台は、明治42年製作の淡路型。
布団部分に唐草模様が全体に刺繍され、昇り下り龍の布団締め。隠し額は、扇型。
布団部分に刺繍されている布団太鼓は、今はなく、開口神社奉納の中戸川(焼失)が、布団部分に数羽の鶴を刺繍していた。

戎島の夫婦太鼓として北浜と並んでいたが、北浜が梅町に売却。

昭和12年より、担ぎ手が兵隊として召集され、豪快な担ぎは見れなくなり、昭和20年の堺大空襲で焼失。


北島淡路

▲北島の絵画再現イメージ
※房は、白房です。

この絵画は、資料等を参考に自作したものです。色や姿・形等100%再現出来たとは限らず、又、全く違う可能性もあります。あくまでも参考にご覧になって下さい。

開口神社(大寺さん)奉納 紺屋濱ふとん太鼓(売却)

紺屋濱布団太鼓は、寺地町西・少林寺町西の濱側を中心とした布団太鼓で、開口神社へ宮入りをしていた。

紺屋濱太鼓台は、大正元年頃製作の淡路型。
白の布団締めに、扇型の隠し額には、巴紋が記されていた。太鼓倉は、相生橋東詰めにあった。

昭和12年(推定)、売却。昭和21年、堺市中区の野々宮神社奉納の畑山町が、元紺屋濱太鼓台(推定)を購入。昭和40年代初め頃に老朽化のため破損。以後畑山町は、地車(だんじり)となっている。


紺屋濱淡路型

▲紺屋濱の絵画再現イメージ
※房は、白房です。

この絵画は、資料等を参考に自作したものです。色や姿・形等100%再現出来たとは限らず、又、全く違う可能性もあります。あくまでも参考にご覧になって下さい。

平成19年 堺市百舌鳥八幡宮月見祭 土塔町

平成19年の宮入りは、5番でした。

土塔町は、平成15年に淡路の梶内だんじりで製作され、43年ぶりに復活した。2代目。

狭間の彫物は、源平合戦を題材に、正面「牛若丸と弁慶の五条大橋」、右「義経のヒヨドリ越え」、左「那須の与一の扇の的」、後「佐々木高綱と梶原景季の宇治川の先陣争い」。

初代太鼓台は、昭和30年梶内だんじり新調で、昭和36年の第二室戸台風で破損し、廃絶。
姿形は、2代目とほぼ同じ。


▼平成19年宮入りです。
PAP_0685_20071205210701.jpg

PAP_0684_20071205210722.jpg

PAP_0688_20071205210656.jpg

PAP_0683_20071205210729.jpg

PAP_0708.jpg

PAP_0707.jpg

PAP_0706.jpg

PAP_0704.jpg

PAP_0703.jpg

PAP_0702.jpg

PAP_0701.jpg


土塔町宮入り動画1

土塔町宮入り動画2

平成19年 第34回堺まつり 北戸川

平成19年、堺まつりでの北戸川。

前夜祭は、5番、パレードは、1番でした。

北戸川太鼓台は、大正2年製作の堺型で、以前曳かれていた地車(だんじり)の彫刻を利用し、中村(中卯)の若衆が、宿屋町にいた「みの音」が北庄村にある鉄工所で制作したそう。

平成9年の堺まつりの際、太鼓台が破損。平成10年に修理。

又、布団締めは、昭和49年までは、白だったが、同50年からは、金綱へ。平成10年より、白の布団締めに戻した。

隠し額は、雲上日月。

彫り物枡合は、正面「琴高仙人」、左「豊干禅師」、右「養老老子と天女」、後「呂洞賓」。


▼前夜祭
PAP_0988.jpg

PAP_0987.jpg

PAP_0985.jpg


北戸川前夜祭動画1

北戸川前夜祭動画2

▼担ぎ出し
PAP_1074.jpg

PAP_1073.jpg

PAP_1072.jpg

PAP_1071_20071204231234.jpg

PAP_1070.jpg

PAP_1069_20071204231215.jpg


北戸川担ぎ出し動画

▼パレード

北戸川大パレード動画

▼平成5年の堺まつり前夜祭での北戸川(修理前)

平成5年北戸川前夜祭動画

開口神社(大寺さん)奉納 南半町ふとん太鼓(焼失)

南半町布団太鼓は、南半町西の少林寺橋から出島橋付近を中心とした布団太鼓で、開口神社へ宮入りをしていた。

南半町と書いて「みなんじょ」と呼ばれていた。

南半町太鼓台は、大正元年頃製作の淡路型。
布団締めは、昇り龍・下り龍の刺繍で、隠し額は、前後左右に分かれて、般若、天狗、老翁、老媼であった。房は、黒房で、誰もが知る名太鼓であったそう。

大正2年から昭和2年までは、開口神社には、合計13台宮入りをしていた。

この布団太鼓も、昭和20年の堺大空襲で焼失。

現在は、子供太鼓が存在する。


南半町改良

▲南半町の絵画再現イメージ
※房は、黒房です。

この絵画は、資料等を参考に自作したものです。色や姿・形等100%再現出来たとは限らず、又、全く違う可能性もあります。あくまでも参考にご覧になって下さい。

菅原神社(天神さん)奉納 南戸川ふとん太鼓(焼失)

北戸川に「北」と付くように、南戸川も存在していた。

南戸川は、櫛屋町東、車之町東、材木町東、農人町を中心とした布団太鼓で、菅原神社に宮入りをしていた。

南戸川太鼓台は、大正元年頃製作の堺型。梅鉢紋と稲模様の旗を交差させて、正面に飾っていた。隠し額は、雲のない「月」と「日」。

柴壇の四本柱は、大変綺麗だったそう。

菅原神社は、全盛期には、14台もの布団太鼓が奉納すると言う、祭礼だった。

この太鼓台も、昭和20年の堺大空襲で焼失。


南戸川堺型

▲南戸川の絵画再現イメージ
※房は、白房です。

この絵画は、資料等を参考に自作したものです。色や姿・形等100%再現出来たとは限らず、又、全く違う可能性もあります。あくまでも参考にご覧になって下さい。

菅原神社(天神さん)奉納 車材木仲ふとん太鼓(焼失)

車材木仲は、車之町西、材木町西を中心とした布団太鼓で、菅原神社へ宮入りをしていた。

車材木仲太鼓台は、大正元年製作の淡路型。
扇の隠し額で、スッキリとした太鼓台であった。

よく他の布団太鼓でも見られた、布団部分に「大入」を貼っていた。

菅原神社は、全盛期には、14台もの布団太鼓が奉納すると言う、祭礼だった。

この太鼓台も、昭和20年の堺大空襲で焼失。



車材木町淡路型

▲車材木仲の絵画再現イメージ
※房は、白房です。

この絵画は、資料等を参考に自作したものです。色や姿・形等100%再現出来たとは限らず、又、全く違う可能性もあります。あくまでも参考にご覧になって下さい。

平成19年 第34回堺まつり 榎

平成19年の堺まつりでの榎ふとん太鼓。

前夜祭では、4番、パレードでは7番でした。

榎太鼓台は、平成18年新調の淡路型。3代目。
大工は、川村商店(兵庫県姫路市)。飾り、刺繍は、川村刺繍(姫路)。
房は、岡本啓助工房(京都)。金具は、梅田工業(大阪)。等。

枡合の彫刻は、「鎮西太郎為朝の剛弓」、「楠公子別れ櫻井の駅」、「芦屋道満問答の場」、「真田大助初陣」。

初代太鼓台は明治42年に淡路で製作した堺型太鼓台をで300円以内で購入し、、昭和5年頃に瓦町に売却し昭和20年焼失。

2代目は、昭和5年、淡路型太鼓台を新調。昭和58年改修。



▼前夜祭
PAP_0992.jpg

PAP_0991.jpg

PAP_0990.jpg


榎前夜祭動画1

榎前夜祭動画2

榎前夜祭動画3

榎前夜祭動画4

▼担ぎ出し
PAP_1071.jpg

PAP_1069.jpg

PAP_1068.jpg

PAP_1067.jpg

PAP_1066.jpg

PAP_1065.jpg


榎担ぎ出し動画1

榎担ぎ出し動画2

▼パレード

榎大パレード動画

▼平成5年の堺まつり前夜祭での榎(2代目太鼓台)

平成5年榎前夜祭動画

開口神社(大寺さん)奉納 中戸川ふとん太鼓(焼失)

中戸川は、宿院町・中之町・寺地町の農人町を中心とした布団太鼓で、開口神社へ宮入りをしていた。

大正2年から昭和2年までは、開口神社には、合計13台宮入りをしていた。

中戸川太鼓台は、大正元年頃制作の淡路型。タガヤ部分が、彫刻となっており、布団締めは、金綱。

特に布団部分に、錦糸で数羽の鶴の飛翔が織られていた。その為、大変豪華で、誰もが印象に残る太鼓台として、有名であった。

昭和20年の堺大空襲で焼失。

現在は、このような布団太鼓は何処にもなく、他には、菅原神社奉納の北島布団太鼓(焼失)もこのように、布団部分に唐草模様の刺繍がされていたそう。


中戸川改良2

▲中戸川の絵画再現イメージ
※房は、白房です。

この絵画は、資料等を参考に自作したものです。色や姿・形等100%再現出来たとは限らず、又、全く違う可能性もあります。あくまでも参考にご覧になって下さい。

開口神社(大寺さん)奉納 大浜ふとん太鼓(焼失)

大浜は、大浜北・中町、栄橋町、竜神橋町、住吉橋町を中心とした布団太鼓で、開口神社へ宮入りをしていた。

大浜太鼓台は、大正元年制作の堺型。少し小柄で、正面に日の丸と、軍艦旗を交差させて正面に飾っていた。また、帆掛船の隠し額で有名だった。

担ぎ手も多く、大変盛り上がっていた。

太鼓倉は、堺水族館(現・大浜公園)の東入口付近にあったが、昭和20年の堺大空襲で焼失。

以後、復活もなく今日に至る。


大浜トンボ

▲大浜の絵画再現イメージ
※房は、白房です。

この絵画は、資料等を参考に自作したものです。色や姿・形等100%再現出来たとは限らず、又、全く違う可能性もあります。あくまでも参考にご覧になって下さい。

菅原神社(天神さん)奉納 熊野戎仲ふとん太鼓(焼失)

熊野戎仲は、熊野町西東、戎之町西東を中心とした布団太鼓で、菅原神社に宮入りをしていた。

熊野戎仲の太鼓台は、明治44年製作の淡路型。布団締めは、銀色で、金色で、梅鉢紋を上部に刺繍されていた。

そのことから、「銀太鼓」と呼ばれていた。

菅原神社は、全盛期には、14台もの布団太鼓が奉納すると言う、祭礼だった。

この太鼓台も、昭和20年の堺大空襲で焼失。以後、復活もなく今日に至る。


熊野戎仲淡路型

▲熊野戎仲の絵画再現イメージ
※房は、白房です。

この絵画は、資料等を参考に自作したものです。色や姿・形等100%再現出来たとは限らず、又、全く違う可能性もあります。あくまでも参考にご覧になって下さい。

平成19年 第34回堺まつり 東湊

平成19年の堺まつりでの東湊です。

前夜祭は、2番、パレードは9番。
前夜祭では、後方の担ぎ棒1番2番が折れるというアクシデントがありましたが、勢いは劣る事なく、担がれていました。

東湊太鼓台は、明治41年?(不詳)製作の大阪型。しかし大阪型と言っても、四本柱は、堺型同様の通し柱(地太鼓)で、よくある大阪型とは違うので、堺式大阪型とも呼ばれる。

大工は大佐?。彫師は川原啓秀。大正9年に、大房・布団締めは京都の國井藤兵衛にて新調。
飾り金物(隠し額等)も、京都で製作されたが、詳細不明で、製作会社は現存せず。

布団締めは、梅の刺繍で、西湊の布団締めの梅は、蕾と開花しているのに対し、東湊は、満開である。布団の房は、黒。親房は、白だった(現在は、黒)。

大正9年、旧湊町が、堺市と合併した際に、西湊と開口神社で担がれたそう。

昭和46~62年までの17年間は休止していた。そして、同63年に、出島と共に復活。

平成7年に、大修理。修理請負は、田中忠。布団締め刺繍は、出原刺繍(京都)

平成24年、太鼓台新調予定。大工:板谷工務店。彫師:木下一門。


▼前夜祭

PAP_0998.jpg

PAP_0999.jpg

PAP_1000.jpg

PAP_0997.jpg


東湊前夜祭動画1

東湊前夜祭動画2

▼担ぎ出し

PAP_1056_20080120110029.jpg
PAP_1055_20080120110022.jpg
PAP_1054_20080120110011.jpg
PAP_1053_20080120110002.jpg
PAP_1052.jpg
PAP_1051.jpg


東湊担ぎ出し動画

▼パレードと、ゴール地点での芦原濱との担ぎ合い

東湊大パレード動画

東湊と芦原濱担ぎ合い動画1

東湊と芦原濱担ぎ合い動画2


▼平成元年の東湊
平成元年東湊動画

▼平成3年の東湊
平成3年東湊動画

▼平成5年の堺まつり前夜祭での東湊
平成5年東湊前夜祭動画

いずれも、大修理前で、太鼓の叩き方等が、今と違う。

開口神社(大寺さん)奉納 中宿濱ふとん太鼓(焼失)

中宿濱は、中之町西・宿院町西を中心とした布団太鼓で、開口神社へ宮入りをしていた。

中宿濱は、明治44年製作の堺型で、少し小柄の太鼓台であったが、強肩揃いの太鼓台であった。

大正2年から昭和2年までは、開口神社には、合計13台宮入りをしていた。
東大甲、大甲濱が売却後は、宮入り1番。
太鼓倉は、住吉橋東詰南側にて保管されていたが、昭和20年の堺大空襲で焼失。

以後、復活もなく今日に至る。


中宿トンボ

▲中宿濱の絵画再現イメージ
※房は、白房です。

この絵画は、資料等を参考に自作したものです。色や姿・形等100%再現出来たとは限らず、又、全く違う可能性もあります。あくまでも参考にご覧になって下さい。

平成19年 堺市陶荒田神社 北村(陶器北)(祭礼・昇魂式)

平成19年は、北村現(旧)地車にとっては、最後の宮入り。

初代現(旧)地車は、天保6年(1835年)製作の板勾欄出人形式住吉型上地車。明治33年10月に15円で修復。北村へは、明治37年に墨江村(現・大阪市住吉区浜口)より購入。
昭和58年、植山工務店にて修復。
平成7年、天野工務店にて修復。

初代現(旧)地車の彫刻は、見送り正面「加藤清正」、右「後藤又兵衛の虎退治」、左「韓軍大将金如吻」。現獅噛みは三代目で松並義孝の製作。

平成20年、地車新調の為、11月3日昇魂式。2代目新地車は、あまの地車製作所で製作新調。初代地車をベースに、大きくするとの事。

初代地車は、兵庫県尼崎市塚口の宮之町が購入。平成20年より曳行予定。



▼平成19年祭礼(宮入り)

PAP_0887_20071130234610.jpg







▼平成19年11月3日昇魂式

PAP_1122.jpg

PAP_1123.jpg

PAP_1124.jpg

PAP_1132.jpg









PAP_1119.jpg

▲昇魂式
PAP_1118.jpg

▲昇魂式
PAP_1116.jpg

▲昇魂式
PAP_1114.jpg

▲昇魂式
PAP_1103.jpg

▲正面
PAP_1112.jpg

▲正面より右側
PAP_1111.jpg

▲小屋根
PAP_1109.jpg

▲小屋根
PAP_1106.jpg

▲正面より右側土呂幕
PAP_1104.jpg

▲小屋根
PAP_1105.jpg

▲見送り:左(正面より右側)「後藤又兵衛の虎退治」
PAP_1110.jpg

▲見送り:正面(後)「加藤清正」
PAP_1108.jpg

▲後梃子
PAP_1100.jpg

▲見送り:右(正面より左側)「韓軍大将金如吻」
PAP_1099.jpg

▲正面より左側土呂幕
PAP_1101.jpg

▲縁葛の金具
PAP_1098.jpg

▲正面より左側
PAP_1102.jpg

▲正面
PAP_1107.jpg

▲担い棒にある「北村」
PAP_1096.jpg

▲正面土呂幕
PAP_1097.jpg

▲正面
↓大阪祭礼記ホームページ↓
カテゴリー
ブログ内検索
大阪祭礼記
最近の記事
最近のコメント
月別アーカイブ
カウンター
カウンター
現在の閲覧者数:
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。